制作中の覚え書

Posted 2011-02-18

加藤周一 『芸術の個性と社会の個性』より。

●みずから絵を描くためには、みずから絵を評価しなければならない。画家が古典を必要とするのは、古典を模倣するためではなく、絵画を定義するためである。彼らは、彼ら自身の時代を無視してでも、前の時代から受けとった古典全体とのつき合いを維持するほかない。それこそは、ジョルジュ・ルオーの、富岡鉄斎の、創造的時代錯誤にほかならない。

●セザンヌはパリ・コミューンの最中に、りんごの絵を描いていた。ヴィトゲンシュタインは第一次大戦の塹壕のなかで『論理哲学要綱』を考え、「砲弾のような些末な事柄に注意を払っている暇はない」と手紙に書いた。鉄斎は、明治維新以後の日本近代化過程のような些末な事柄に注意を払っている暇はない、と呟いていたのかもしれない。

●一度自己の世界を発見した画家は、二度とその世界から離れることがない。その世界は深まり、その手法は発展する。しかし一つの様式から、根本的に異なる他の様式へ移ることはなく、殊に二つの様式を併用することはない。その世界は汲めども尽きず、その様式を通して表現し得ることには限りがないからである。