
金子光晴。この詩人の作品に触れたくなったとき、ふと開くことができる高橋源一郎編集のこの文庫本は、ながいあいだ愛読しています。周囲の言動が一つの方向へ向かって沸騰している時代に、この詩人は「むかうむきになっている おっとせ・・・・[続きを読む]
西藤博之公式サイト
金子光晴。この詩人の作品に触れたくなったとき、ふと開くことができる高橋源一郎編集のこの文庫本は、ながいあいだ愛読しています。周囲の言動が一つの方向へ向かって沸騰している時代に、この詩人は「むかうむきになっている おっとせ・・・・[続きを読む]
実は、私が10年来つかっている和紙が製造元の事情で入手できなくなっています。困ったところで埒があかないので、この機会に違う紙に刷ることを試してみました。思い出したのは、京都の円徳院でみた長谷川等伯の襖絵です。唐紙の地模様・・・・[続きを読む]
私は1994年にボブ・ディランのコンサートを観にいきました。そのときに浴びたエネルギーは長い潜伏期間を置き、2012年に木版画として私の前に浮上してきました。三井寺の如意輪観音菩薩坐像を見たときに、「これはディランだ」と・・・・[続きを読む]
ロートレックを食べるのではない。画家は料理人でもあった。彼自身による料理レシピ本。目次にはスープ、薬味香草、魚貝、家畜肉から、きわめつけ、までが並ぶ。私は、このレシピに従って料理をつくったことはないが、レシピの合間に挟ま・・・・[続きを読む]
矢内原伊作。著者がモデルをしていたとき、この芸術家との対話を記銘した本。ジャコメッティは一日の休みもなしに、仕事を続けた。矢内原の前でタブローと格闘しながら独白する。「われわれの仕事、これは人間的でない。私は蟻と同じだ。・・・・[続きを読む]
サマセット・モーム(中野好夫=訳)。ゴーギャンの伝記をベースとした芸術家小説。平凡な中年男が妻子のある家を捨てて一人の芸術家となる通俗小説、と批評されたモームは、シェイクスピアも通俗劇作家だ、と言ったそうです。純文学だか・・・・[続きを読む]
隠れん坊の鬼が当たって、何十か数える間の眼かくしを終えた後、さて仲間どもを探そうと瞼をあけて振り返った時、僅か数十秒前とは打って変って目の前に突然開けている漠たる空白の経験を恐らく誰もが忘れてはいまい。隠れん坊の主題は何・・・・[続きを読む]
オールダス・ハクスレー(片桐ユズル=訳)。195ページ、「悲しみを見せよう―しかし仏陀がいったのはそれだけではない。彼は悲しみの終りを教えてくれた」。これはインド洋上の小島に漂着した英国人を主人公にした小説の一節です。主・・・・[続きを読む]
酋長ツイアビの演説集(著=エーリッヒ・ショイルマン、訳=岡崎照男)。サモア諸島の酋長は、はじめてパパラギ(白人)の文明社会に触れた驚きを、島の人々に語って聞かせた。100年前にサモア人の目でヨーロッパ文明を批判した。13・・・・[続きを読む]
種村季弘。博覧強記の著者による書評集。書評というより、一冊の本を中心に置いた日常風景や過去の心象を描いた随筆集。例えば「我が闘争」と題された一章は、ヒトラーの絶叫する演説ではなく、吉田健一の忍び笑いを描く。吉田健一の小説・・・・[続きを読む]